私の道標

その辺の学生の道標を綴ったブログ

自分を大切にしすぎることが自分を苦しめる

 

どんな状況でさえ、自分に向き合って行くことは必ず出てくる

 


最近、自分に向き合って自分の中の自分に気づいたことが一つだけある。

 


昔から、自分について話すのが苦手だった。
自分のことを話す際、まず相手に伝えるのが、
「〇〇からきた若杉です」
「〇〇大学の若杉です」
「兄妹がいます」
「好きなことは〇〇です」
などの、自分の肩書や自分を取り囲む情報の数々。
これが世間一般的にいう、自己紹介。


これくらいなら自分を伝えることが苦手な、私にも話すことができる。
理由はとても簡単で、自分の周りにおける事実を述べれば良いだけだからだ。

 


私は、これ以上のことを話すのが苦手だ。


今まで、これが苦手な理由として、言語化する能力がないからだと思ってきた。


自分が思ってることを口にできない。
自分の感情を言葉で表現できない。
どういう話し方で伝えたらいいかわからない。
説明から話すことが下手くそ。
など。

 


もちろん、これらも理由の一つとして入っているのかもしれない。


実質、物事の説明を知人にするのは苦手だ。

 


でも、それ以前に、大きな理由があるのではないか。と思うようになった。


「自分を大切にしすぎ」


きっとこれが一番の理由。


たった、これだけ。
しかも、こんな理由。

 


これに気づいたのには、いくつか理由があるのだけれど。


最近、友達や大人たちと将来について話したり、自分がなりたい姿について話すことが増えた。
その中で、必ずと言っていいほど生まれる


「さえはどうするの?何かしたいことはないの?」


という質問。

 


この質問に対して、私は
"相手によって答える内容を変えている"
自分に気がついた。


その質問に限らず、自分のことを聞かれる質問ではきっと相手によって答える内容を変えている。

 


“この人から変に思われないためには、どういう風に言うのがいいだろう”
“自分のイメージとあっているのは、どういう答えだろう”
“この人を怒らせないような言い方はどんなんだろう”
“自分がよく見えるのはどういう言い回しだろう”
“こんな答えを出すのは良くないだろう”
“自分が・・・”

“自分が・・・”

 


こういう思考を質問を受けた瞬間から考えているのだろう。
そして、この人にはこういう話し方が一番いい。と勝手に思い込んで、答えを作りだす。


「じゃあ、紗英が話したことって全部嘘だったわけ?!」


と思うだろう。それは自分でも引くくらい思った。
でも、決して、その答えの全てが嘘というわけではなくて。
きっとそれぞれ友達から得る質問にも、先輩から得る質問にも、周りの大人たちから得る質問にも、自分の本心が隠れている。(と信じたい)


ただ、自分が傷つかないような言い回しで、自分の嫌なところが出ないような言い方で、自分はいい子なんだってことを自分に言い聞かせるような言い方で、答えをだす。


そうしている自分を見つけた。


それと同時に、そうやって人によって答えを変えているせいで、自分までがどれが本心なのかわからなくなり、結果自分を苦しめる。
自分の言っていることへの、自分の頭の理解がついていけずに、飽和状態になる。


「自分が大切すぎて、傷つけないようにしてきた結果、自分を苦しめている」のだ。

 


これに気づいた時には、頭の中が真っ白になった。
本当の自分はもはやどこにいるのかわからない。
今まで口にしてきた答えも違うんじゃないかと思うとぞくぞくする。
もうどうにでもなれ、と思った。

 


でも、今気づくことができて良かったとも思う。
これからまたこうやって自分について悩むときがくると思うから。
そしてこれに気づいてなかったら、また自分を苦しめてたと思うから。

 


きっとすぐには、「いい子でいる」ことから卒業はできないかもしれないけれど
これをきっかけに自分にくらい素直に.

 

 

2018.5.29