私の道標

その辺の学生の道標を綴ったブログ

卒業旅行だからといって。

卒業旅行だからといって、
特に普段と違うことはない。
一緒に集まって、お酒を囲んでも、浮いた話ひとつも出てこない。

 

 


あー、そうだった。


学校で集まっても、こんな感じだったんだった。


でも、その居心地が良かったから4年間一緒にいることができたんだ。

 

 


場所が普段と違うからこそ、
その、全く変わらない日常が愛おしく思えた。

 


ここに着いてからすぐは、普段とはかけ離れた非日常の場所、空間に心踊らせた。(実際本当に踊った笑)


でも、その数十分後には、何にも変わらない日常に戻ってる。

 


非日常の中にある、日常。


これにフォーカスを当てることができるのも、旅に出た人の特典なのかもしれない。

 


今日もまた、非日常的な1日が始まる。


非日常に心踊らせ、ワクワクしながら
その中にある日常を見つけ、にやっとしよう。


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7人で

今まで、どこか行くときは、当日の朝に予定を決めちゃう、行き当たりばったりの旅が多かった。

 


但し、今回の旅行は少し違った。
何日目に何をして、どのようなスケジュールで動くのか、を予め決めた。
そして、必要な事項は全て日本で調べて行った。(すっごい大雑把だけど旅の栞なんかも作ってみた笑)

 

 


今までは、調べるのが面倒くさかったり、その通りに行動出来なかったら不機嫌になってしまうこと等を考えていた。


ただ、今回栞を作る中で、時間を無駄にしないには?安く抑えるには?を考えるのが楽しかった。


どうしたら喜んでくれるかな?
どのルートだとスムーズに行けるかな?
ネット予約と当日どっちが安いかな?
どれが楽しいだろうか?

 


こうやって考えるのも、悪くないと思った。

 


それもきっと、7人だったからなんだろうなって。

 


一緒にやりたいこと、行きたいところがたくさん浮かんだ。

 

 

 

 


行き当たりばったりの、サプライズな旅行も良いけど、たくさん調べ尽くしてイメージをしてから行く旅行も良い。

 


紗英に任せてくれてありがとう。

 

 


 

おはようのひとこと

「みんな起きてるー?」
「〇〇起きてなくない?!」
「起こしに行く!」

 

 


これがあるのが、集団旅行の良いところ。


基本、大人数よりも少数での旅行が多かった。または、現地集合で行く旅行。
こんなにも朝の出発が早いのも久しぶりだ。自分1人だったら絶対選ばない時間だろう。

 


いつも通り、夢の中で鳴ってる目覚ましが現実の目覚ましであることに気づき、反射的に止める。


何度かスヌードで鳴る目覚ましに、起きたくないなぁ、、と思いながらもいつも通り体を起こす。

 


あー、準備するかなぁ、と思いつつ、いつもと同じようにLINEを開く。

 


すると、そこには普段では見かけないLINEが数件溜まってた。


「おはよう〜!」
「起きてる!?」


のLINEだ。

 


そのLINEを見て、あ、そうだ。今日はみんなで行く旅行なんだ。
朝からなんかホッコリとした気持ちになった。
と同時に、
この旅行が終われば、同期の卒業が目の前になる。その寂しさも相まった。

 

 


きっと、良い旅行になる。
というか、絶対良い旅行にする。

 

 


 

快楽に辿り着くために

何重もの甲羅に覆われた私を壊すのは、きっと私だ。

最近、世間一般的に言う、就活というものに触れている。
それは、自分の将来の構図を考え、それに伴って、今自分が何をすべきなのか、どんな仕事につくべきなのか考え、それを満たしてくれる会社を選別していく、人生選択の場である。

この大切な人生選択の場で、私は、また自分の中にある塊に目を向けなければならない。
決して、目を向けるのが絶対に嫌というわけでも無いが、自分の心に何重にも覆った部分を壊していかなければならない作業が待っている。

それは、私にとって、一番辛く、
そして、一番快楽のある出来事である。

何重ものの甲羅に覆われすぎて、私でもどうやって割っていけばいいのかわからない。
それなのに、他人にそれをこじ開けられようとすれば、

自分という核心を突かれるようで。
自分が作って来た自分と正反対の自分を見るようで。

私はまた、甲羅を増やしていく。
甲羅が剥がれれば、私も楽なのに。
また、自分で自分を苦しめようとしている。

この感情だけが、私の頭の中をぐるぐると回っている。
口先だけで、終わらせてしまう自己分析なんて何の役にも立たない。
ただ、事実を述べている自己分析なんて、私じゃ無い人から見てもわかるだろう。

こうやって、一人悶々とする日々が続く。
それも、もうおしまいにしたい。

一番辛い、甲羅を剥がす作業が終われば、きっと、自分が解放されたようで、1番の快楽にたどり着く。


誰にも素直になれない私が、
誰かに素直になりたい私が、


私自身で、甲羅を割って出ていかなきゃいけない
そして、それを目の前の、私の話をいつも聞いてくれる友人たちに話すんだ。
素直に自分の言葉で、恥じらいや嫉妬なんてものは全て取っ払って。

本当の私を知ってもらうために。


しばらく書いてなかったら、半年も経っていた。
半年も書かないと、文章力と、感情表現が圧倒的に劣るもんだということは分かった。笑
 
最近モヤモヤが晴れないから、久しぶりに書いてみようかと思って。
いざ書こうと思ったら、思っていることは変わっていなくて。
半年前に書いたものとき、どれほど成長できたんだろうか。
でもきっと、自分のことを後ろ向きに話していた、半年前から、ちょこっとだけど、前向きに話してみよう、と思っている今。

少しは、進歩していると思いたい。

2018.10.28 sae


 

自分を大切にしすぎることが自分を苦しめる

 

どんな状況でさえ、自分に向き合って行くことは必ず出てくる

 


最近、自分に向き合って自分の中の自分に気づいたことが一つだけある。

 


昔から、自分について話すのが苦手だった。
自分のことを話す際、まず相手に伝えるのが、
「〇〇からきた若杉です」
「〇〇大学の若杉です」
「兄妹がいます」
「好きなことは〇〇です」
などの、自分の肩書や自分を取り囲む情報の数々。
これが世間一般的にいう、自己紹介。


これくらいなら自分を伝えることが苦手な、私にも話すことができる。
理由はとても簡単で、自分の周りにおける事実を述べれば良いだけだからだ。

 


私は、これ以上のことを話すのが苦手だ。


今まで、これが苦手な理由として、言語化する能力がないからだと思ってきた。


自分が思ってることを口にできない。
自分の感情を言葉で表現できない。
どういう話し方で伝えたらいいかわからない。
説明から話すことが下手くそ。
など。

 


もちろん、これらも理由の一つとして入っているのかもしれない。


実質、物事の説明を知人にするのは苦手だ。

 


でも、それ以前に、大きな理由があるのではないか。と思うようになった。


「自分を大切にしすぎ」


きっとこれが一番の理由。


たった、これだけ。
しかも、こんな理由。

 


これに気づいたのには、いくつか理由があるのだけれど。


最近、友達や大人たちと将来について話したり、自分がなりたい姿について話すことが増えた。
その中で、必ずと言っていいほど生まれる


「さえはどうするの?何かしたいことはないの?」


という質問。

 


この質問に対して、私は
"相手によって答える内容を変えている"
自分に気がついた。


その質問に限らず、自分のことを聞かれる質問ではきっと相手によって答える内容を変えている。

 


“この人から変に思われないためには、どういう風に言うのがいいだろう”
“自分のイメージとあっているのは、どういう答えだろう”
“この人を怒らせないような言い方はどんなんだろう”
“自分がよく見えるのはどういう言い回しだろう”
“こんな答えを出すのは良くないだろう”
“自分が・・・”

“自分が・・・”

 


こういう思考を質問を受けた瞬間から考えているのだろう。
そして、この人にはこういう話し方が一番いい。と勝手に思い込んで、答えを作りだす。


「じゃあ、紗英が話したことって全部嘘だったわけ?!」


と思うだろう。それは自分でも引くくらい思った。
でも、決して、その答えの全てが嘘というわけではなくて。
きっとそれぞれ友達から得る質問にも、先輩から得る質問にも、周りの大人たちから得る質問にも、自分の本心が隠れている。(と信じたい)


ただ、自分が傷つかないような言い回しで、自分の嫌なところが出ないような言い方で、自分はいい子なんだってことを自分に言い聞かせるような言い方で、答えをだす。


そうしている自分を見つけた。


それと同時に、そうやって人によって答えを変えているせいで、自分までがどれが本心なのかわからなくなり、結果自分を苦しめる。
自分の言っていることへの、自分の頭の理解がついていけずに、飽和状態になる。


「自分が大切すぎて、傷つけないようにしてきた結果、自分を苦しめている」のだ。

 


これに気づいた時には、頭の中が真っ白になった。
本当の自分はもはやどこにいるのかわからない。
今まで口にしてきた答えも違うんじゃないかと思うとぞくぞくする。
もうどうにでもなれ、と思った。

 


でも、今気づくことができて良かったとも思う。
これからまたこうやって自分について悩むときがくると思うから。
そしてこれに気づいてなかったら、また自分を苦しめてたと思うから。

 


きっとすぐには、「いい子でいる」ことから卒業はできないかもしれないけれど
これをきっかけに自分にくらい素直に.

 

 

2018.5.29
 

いつか結婚しても

 
少し古めの話にはなるけれど、My hair is bad の「いつか結婚しても」という曲がリリースされた。
MVに可愛すぎる女の子が出てきて、なんとも愛くるしい曲。
私は、この曲が大好きである人に紹介した。
 
 
大好きで大切で
大事な君には
愛してるなんて言わないでいいね
毎日が退屈に思えても
毎朝、僕の横にいて
 

 

その人は、この曲を聞き終わった後、
 
こう言った。
 
「確かに、いい曲だね。でも、愛してる、は言ったほうがいいでしょ。他人なんだから。伝えたいことは伝えたほうがいいでしょ。」
 
確かに、その人は感情や思ったことを口にするタイプの人。
だから、この人の言ったことが間違いとか、全員が同じ考えなんて思ってないけど。
 
思ってないけど、私は「愛してるなんて言わないでいい」と思う。
 
本当に大好きで、大切で、大事な人には、愛してるなんて言わないでいい。
 
愛してる、この言葉が持っている魔法はどんな女の人も綺麗にする
この魔法は、大事な時に使うべきだと思う。
本当に一生に一度の、本当に大事な時に。
 
もちろん、気持ちを伝えるのは大事だと私も思う、
気持ちを伝えずに後悔した過去もある。
だから、気持ちは相手にはしっかり伝えたい
 
じゃあ、どのように伝えるのがいいだろう、
 
私は、
「愛してる」って言われるよりも、
「隣で寝よ?」か、「ギュってして?」って言われたい。
 
こっちの方が、完全に母性本能をくすぐられる。
と同時に、安心も付いてくる。
 
人は安心を求める動物だと思う
 
「愛してる」ってなんども言われると
せっかくの愛してるって言葉の魔法が効きにくくなる気がして。
 
 
だから、愛してると言う言葉は一番大事な時に取っておいて、
そのほかの言葉で、愛してるし、大事にしてるよ。ってことを伝えて欲しい。
 
その面で、
「隣で寝よ?」「ギュってして?」は破壊力抜群
ほとんどの女性が言われたら嬉しいんじゃないだろうか。
 
隣で寝た時の彼の体温と、朝見る寝顔、、、
ギュってした時の抱きしめ方、体から離した時の悲しそうな顔、、、
 
私は、これを感じて見れただで幸せだと思う。
そして、あー大好きだなーと実感する。
 
 
だから私は、
「愛してる」って言われるよりも、
「隣で寝よ?」か、「ギュってして?」って言われる方が、何倍も嬉しい。
 
そして、本当にその人に伝えなければいけない時に「愛してる」って伝えたい。
 
 
ただ、感情を伝えたい時に感情を伝えることのできる相手でいることも大事。
いつか結婚しても、その言葉を言われる、言える関係の人に出会えることを願っています。
 
 
 
2018.4.17 sae
 
 
 

2年越しの2.26

2018.2.26 アクロス福岡

2年前、紗英がTABIPPOに出会った時からずーっと自慢したかった人。
こんな人たちもいるんだよって見せたかった人。
紗英はこのTABIPOに出会って、大きく大学生活を変えることになったんだよって教えたかった人。
去年までは高校生でなかなか自由に行動ができなかった人。
その人を連れて、3年目にしてはじめてお客さんとしてBackpack Festaに行った。

開場から、開演、閉演までほぼ一緒に回った。
回ったというか、隣にいてもらっただけだったけど。

そのイベントで見たものは、自分が楽しいと思う生き方を全うする大人たち、最高の夢を追う人たちとそれを全力で応援する人たち。
そして、私が見たかった景色。
何度か涙しそうになるくらい、心が動かされるイベントだった。
やっぱり、大好きなイベントだった。


イベントが終わって、帰る彼女に何も聴けなかった。
自分のことでいっぱいいっぱいすぎて。

ほんとはもっともっとたくさんのことを聞くはずだったのに、
そこで彼女が何を感じて、何を思ったかちゃんと聴けていない。未だに。

 

 

 

ただ、帰ってから彼女から出た言葉は、私に向けられたものだけで。


「紗英ちゃんが楽しそうにしててなによりだった」


どんな想いが込められてたのかは知らないけど、このメッセージを見たとき、
周りの人がいることによる私の素の姿を見せられることができた。連れてきてよかった。って思ったと同時に、
もっといろんな人と関わっていろんな人の話聞いてもらえばよかったな〜っていう後悔。
人見知りな彼女には、一人で喋るのが難しかっただろうから。

 

でも、その一言のおかげで自分の大切なものも再確認できた。
“ やっぱり最高の仲間たちは最高のままだった “ってこと。
そして、自分が思ってた以上に、その人たちのことが大好きで、大好きで、大好きでたまらない。ってこと。


今までずっと一緒にいた、彼女に言われるくらいだから、
相当楽しそうな顔してたんだろうな〜って。いつもと相当違ったんだろうな〜って。
今思うと、ちょっと恥ずかしいけれど(笑)


このイベントに連れて行って何か彼女に伝えることができたのかはわからないけど、
私の気持ちが少しでも届いてればいいな。

付いて来てくれて、ありがとう。


自分の思うままに踏み出せますように。

 

2018.3.7 sae